ゅさくらあげは

ゅきのとさくらとあげはの生活。山あり谷あり、だから人生ってスバラシイ?

2007年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2007年09月

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生命ってなんぢゃろな。

久しくブログ更新してませんでした。

7月は怒涛の1ヶ月。
あと30分で終わろうとしています。

7月4日、母が倒れました。
朝、ルームメイトと朝マックした後、仕事で使うためのプリンタを
買いに行ってました。
電話は3箇所から。
母の仕事先の上司、消防本部、病院の集中治療室。

病院へ高速をふっとばし、到着。
母の仕事仲間がたくさん集まっていて、父もいました。
家族到着の報告を病院にすると、医師からの説明があると、部屋に
通されました。

倒れた原因はクモ膜下出血。
レントゲンの写真を見せられましたが、ものすごい出血でした。
ほぼ即死状態で、心停止時間は40分。
なんとか心臓は動き出しましたが、自発呼吸が認められず、治療に
進めないとのこと。
状態が急変したら、病院から連絡を入れますとのこと。

変わり果てた母との対面でした。
正直信じられない気持ちと、絶対に治って帰ってくるという気持ち。
父はがっくりと肩を落としていました。

それから毎日病院へ通いました。
母に会っては話しかけ、早く戻っておいで、と言い続けました。

そして、日曜日7月8日。
朝から携帯に着信があり、母の兄弟が田舎から来ているので病院に
今すぐ来て欲しいとのこと。
田舎は福島県。なぜ到着する前に連絡くれないの?とブツブツ支度を
していた時でした。
病院からの着信。心臓が止まるかと思いました。

血圧が急激に下がったため、至急病院へ来て欲しいと。

兄弟が来るのを待っていたのでしょうか?
急いで病院へ向かいました。

親族との挨拶は後回し、すぐ医師からの話があるとのことで部屋に
通されました。

強心剤を使用し、一時状態が回復していますが、またいつ急変するか
分からないので、今日は一日病院にいてください、とのことでした。

その後、親族との対面。
みんな声をかけてくれて、戻ってくるの待ってるよって言ってくれました。

親族は、明日仕事もあるということで、帰ることになりました。
父も、ここにいても仕方ないから帰ろうと言いましたが、私は
絶対に帰らないと言い返しました。
父に口答えをしたのはこれが初めて。

押し問答の末、父も足がないので戻るに戻れないし、残ると言って
くれました。

病室に再度入室し、椅子に座り母の手を握りました。
とっても冷たかった。

そして5分ほど経った後、心拍数が急降下。
まるでドラマの世界でした。
110ほどあった心拍数は、60から50、そして40、30と下がっていき
あっという間に0を指し示しました。

看護士さんと医師を呼び、状態を説明。
7月8日午前11:51。静かに息を引き取りました。

人って簡単に死んじゃうんだね。
一瞬なんだね。
横たわっている母は、今にも起き出しそうでした。
とってもきれいな顔してました。

人の生きる力は、寿命には勝てないのか…。
まだ63歳。楽しいことはいろいろあったのに。

父とは離婚していて、子供は私一人。
人生で初めての喪主を務めました。

家庭内の事情がいろいろと複雑で、通夜と告別式をすることができず
火葬のみの簡単な見送りでした。

ただ、親族や、仕事関係の方々、そしてルームメイトや相方、そして
私の友人。たくさんの方に集まっていただき、そして棺にたくさんの
お花を入れて、お花いっぱいに囲まれて逝きました。

カサブランカとランの花が大好きだった母。
お花は本当に大好きで、ガーデニングが楽しみだった母。
全て省略した形でも、せめてたくさんのお花に囲まれて逝って欲しくて
友人の助けも借りて、華やかに飾ってあげることができました。

火葬はあっけなく済み、お骨を拾って骨壷へ納め、最後は私がお骨を
抱いて帰りました。
意外と重いな、と思いましたが、母とは思えぬ軽さでした。

先週の土曜日で三日七日が過ぎました。
私の周りでいろいろ不思議なことが起きています。
きっと、四十九日までの間、この世を懐かしんでいる母がしている
ことなのかな、と思っています。

遺された人にはやることが山ほど残っています。
精神科に通う私には少々ハードです。
3週間が過ぎ、体力、精神力ともに限界を越し、日に日に弱っています。

でもやらなきゃいけない。
これをやり遂げて、初めて供養することができる、そう思っています。

辛い、苦しい、悲しい。20歳を過ぎてからの私の感情はこんなのばかり。
30歳すぎたら、もっといいこと待ってるかな。

私の花嫁姿を見るのを心待ちにしていた母。
見せてあげられなくて本当にごめんなさい。
未だに結婚の予定はありません。
ごめんね、ママ。

1人しかいない子供がこんなで本当にごめん。
迷惑かけたりかけられたりの人生だったけれど、ママと過ごした
28年間は、本当に楽しかったよ。

金銭面で苦労かけられたこともあったけど、小さい頃から女手一つで
働いて、子育てや教育のことも考えてくれて、本当に尊敬するママ
だったよ。
私が大人になったら、あんな風にバリバリ動けるのが普通だと思って
いたけど、実際は全然違う。
私にはできないことだらけだよ。

ねぇ、ママ。
このブログ書いてて、後ろでママの匂いがしたよ。
一緒に見てくれてるのかな。

もっともっといろいろ話したかった。
相方との今後のこととか、私の病気や仕事のこと、いろいろ。
ママの愚痴も100%聞いてあげられてなかったね、最近は。

63年間の人生、幸せでしたか?
悔いは残っていませんか?

ママが大切に育ててくれていたさくらは、私が責任持って育てます。
幸い、私にもすごく懐いてくれてるよ。

こっちのことはもう心配しないで。
私も泣いてばかりじゃないから。
しっかり先を見て生きていくから。

何か言いたいことがあれば、いつでも夢の中で待ってるよ。
薬飲んで寝てるから、毎日は会えないけど、待ってるから。

だから、これからはずっと私を見守っていてね。
見えないけれど、ママを感じることはできるから。

人と出会うたびに、私は優しさを一つ分ける。
そして別れのたびに、私は強さを一つもらう。

だから私は大丈夫。ママの子供だもん。芯は強いよ。
どうか迷わないで旅立っていってね。
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